君が溺れる前に

君がれる前に

帯文より
【アニメ化で人気を博し3クール放映後に完結、続編を望む声多数】
「水溜まりで溺れて死にたいんだ」
高校二年生の遠藤藍はある日の放課後、特棟四階の第二音楽室で一歳上の男子学生、匂坂皐月と出会う。不愛想で口の悪い皐月と最初は激しく衝突するものの、音楽を通して打ち解けていく。やがて皐月に惹かれ始めた頃、藍は自分のいる世界の違和感に気が付いて——。まるで水溜まりの中に映った世界を見ているような不思議なストーリー。衝撃のラストに、あなたはきっと涙する。

作品内容(本文抜粋)

「水溜まりに映った空が好き」 

 思えば君は、いつだって少し捻くれていた。
 
「なにそれ。空じゃだめなの?」

 溜息混じりにそう問い返すと、君はただ黙って足元の水溜まりに視線を落とした。
 長く降り続いていた冷たい雨がようやく止んで。空気を染める白い息が、君がいま笑ったんだということを教えてくれる。

「……俺はね、水溜まりで溺れて死にたいんだ」

 あくまでこれは冗談なんだよって軽い口調で、だけど真剣な目をして。
 雨が止むと決まって、君はどうにもならないことを願う。それが君の本心じゃないって知っていたのに、私はいつだって気の利いた言葉を返せなかった。

「どうにかしてよ」
「それは……無理だよ」

 私が返事に困って言葉を詰まらせるたびに、君は不機嫌そうに眉を寄せた。

「アンタは全然分かってない」

 君に言わせれば、私は君の願いの半分も理解できていないのだという。
 沈黙の気まずさを紛らわすためにぎこちない動作で傘を閉じると、頬に一滴の水が落ちてきた。見上げた空は透き通るような水色だ。例えば、目を閉じても瞼の裏に滲んでくるようになるくらい、私が空を見つめ続けたら。君は頭上にある空に気付くだろうか。私を見つめ返してくれるだろうか。
 祈るような気持で、俯く君の左手をそっと掴まえた。少しだけで良いから君に知ってほしかった。

「この水はなんで落ちてきたんだろう」

 君が触れた場所から水溜まりの中の空はゆっくりと歪んでいく。君は悲しそうに目を伏せて、静かに言葉を落とす。

「なんで残ってるんだろう? 何か未練があるのかな?」

 ——だとしたら俺みたいだ。そう言って、君は力なく笑った。
 なんて答えるのが正解かなんて分かるはずもない。「そんなことないよ」とだけ返したら、君は一瞬泣きそうな目をして。水溜まりに映った空をばしゃりと壊して歩き出してしまった。

 ***

 君がしきりに口にするどうにもならない願い事に、もっとちゃんと返事をすれば良かった。
 繋いだ手だけが君をこの世界に留めていることに、もっと早く気付けば良かった。

「一緒に溺れてみようか」

 嘘でもいいからそう言ってあげれば良かった、と。思ったときにはもう全て飲み込まれていて。
 ばらばらに千切れた水溜まりの空は、淀んだ空気の中へ跡形もなく消えていった。

夢じゃなかったんだ。分かっていた。
私を置いて歩いて行った、震える君の背中を迷わず抱きしめていれば良かった。