キミ色に染まる
帯文より
【小説家・藤崎総悟が大切な人へ贈る恋愛小説】
桜のトンネルを抜けたら、そこは見たこともない世界でした——。
小説家・藤崎総悟は最愛の恋人、柚子と共に幸せいっぱいでお花見を満喫中——のはずが、なんと異世界転移してしまった!二人の前に現れた愛らしい精霊によると、この世界は大悪魔によって全ての色を奪われ白黒になってしまったのだという。精霊に泣きつかれた藤崎と柚子は世界の色を取り戻す旅に出ることに。二人の愛の力で旅は順調に進んでいるかと思われたが……。大好きな人がいるからこそ、世界は鮮やかに萌える。小説家として、男として、大切なものを守るための愛と冒険の物語がいま始まる。
作品内容(本文抜粋)
気が付くと藤崎はうつ伏せに倒れていた。大悪魔の攻撃を食らって一瞬意識を失っていたらしい。慌てて体を引き起こそうとしたが、いくら力を入れてみても叶わなかった。地面についた自分の手を見て、藤崎は愕然とした。
「そ、そんな……」
藤崎の手は、今まさに色を失いつつあった。血の巡りも柔らかな質感も感じられない無機質なただの物。白黒の空や花のように、自分ももうすぐこの世界のオブジェになってしまう。
「柚子……。僕はもうこれ以上頑張れそうにありません……」
この世界に来て数ヵ月。初めて吐いた弱音だった。
「僕の物語はもう終わりみたいですね……」
足掻いたってどうにもならない。現実は小説のように上手くはいかないもので、バッドエンドはしょっちゅうだ。力なく呟いた台詞は、挫折を味わい希望を失った主人公にぴったりで。自分はこんな小説に登場するはずではなかったのにな……と自嘲気味に笑った。
どんな困難も乗り越えてハッピーエンドに。それが藤崎の信条だった。夢物語だと誰もが言った。でも柚子だけが「素敵ですね」と微笑んでくれたのだ。そんな柚子が大好きだった。柚子となら、永遠に終わりのない幸せな物語を紡いでいけると本気で信じていた。
「でも……柚子が傍にいないと僕は……」
自分はこんなにも弱い人間なのかと思い知る。厳しい現実を突きつけられ、絶望で心が色褪せていくのを感じた——。
その時だった。
一枚の花びらがはらはらと、藤崎の手の甲にそっと手を重ねるように舞い落ちてきた。
花びらが触れた部分から広がる懐かしい温かさ。その感覚にじわりと視界が滲む。藤崎は慌てて目を閉じた。もし今、一粒でも涙を零してしまったら、僅かに残っている色までも滲んで消えてしまうと思ったからだ。
しかし、その不安はすぐに打ち消された。瞼の裏に焼き付いた思い出の景色は、今なお鮮やかに彩られている。よみがえってくるのは、世界で一番愛おしい声だ。
***
『……すごい! 一面桜色の世界……!』
見事な桜のトンネルの下を身を寄せ合って歩く。喜ぶ柚子の顔が見たくて、仕事の合間に散歩に出かけては内緒で探し回った穴場スポットだ。
『こんな素敵な桜のトンネル、抜けてしまうのが勿体無いです……』
柚子が立ち止まりうっとりと桜の木を見上げる。綺麗すぎて違う世界に繋がってるみたい、と呟く柚子の横顔を眺めて幸せを噛みしめた。
涙が零れてしまわないようにと慌てて視線を上げて、柚子と同じように桜を見つめる。
このまま時が止まれば良いのにと願いながら、流れる時間に逆らうようにゆっくりゆっくりと歩いていく。
『僕と柚子だけの世界ですね……。まるで結婚式のようです。こうしてフラワーシャワーの中を歩いていくのですね』
未来を思い浮かべると自然と頬が緩んだ。藤崎の言葉を聞いて真っ赤になる柚子が愛おしかった。そういう自分の頬もきっと柚子と同じ色に染まっているのだろうな……なんて思いながら。まだお酒を飲んでいないけれどお互いに酔っているんですね、と笑い合った。
『居座って総悟さんの存在を見せつけて下さいね。私が他の誰のものにもならないように……』
『僕色に染めてますから。しっかり見せつけます。誰も寄せ付けません』
『そうですね……一ミリの隙もないくらい、すっかり身体の中も外も総悟さん色に染まってます』
『ありがとうございます、藤崎総悟色ですね……』
『はい、桜色っていいたいけど……総悟さんの誕生石みたいな綺麗な若草色です』
柔らかい春に陽ざしを受けてお揃いのピンキーリングがきらりと光る。そっと柚子の手を握ると、二つの石が寄り添うように並んだ。
『桜の次は緑が萌える総悟さんみたいな優しい季節ですね♡』
***
あの時の柚子の表情を、今でもはっきりと覚えている。
何度季節が巡っても、生まれ変わって新しい人生が始まったとしても。絶対に忘れることはない。
桜が散って、緑が萌えて、木々が染まって——そして、二人が出会った冬が来たら。
柚子、僕はあなたに結婚を申し込むつもりなんです。
僕たちの前にはどこまでも明るい未来が続いている。山も谷も全部一緒に越えるのだから……こんなことでくじけていてはいけませんよね。
藤崎はゆっくりと目を開ける。
世界は先ほどまでと違って見えた。たとえ自分の色が失われようとも、必ず守り抜かなければいけないものがある。
藤崎は体にぐっと力を込め、立ち上がる。
まだ終わりではない。終わるわけには、行かない。
「待っていてください、柚子。僕は必ずあなたを助けに行きます。二人の思い出は……柚子が愛で染めてくれた僕の心は……こんなところで色褪せてしまうようなものではないですからね……!」
二人の色を合わせれば、不滅の愛が心に満ち溢れる——!